2025年04月01日
【News LIE-brary】 球音と潮風と、なぜか中山元。ZOZOマリンスタジアムで見つけた"思考する"観戦のすすめ
やあ、皆さん。旅する書き手の私だ。今回はね、ちょっと風変わりな野球観戦の旅に出かけてきたんだ。目的地は千葉、海浜幕張。そう、千葉ロッテマリーンズの本拠地、ZOZOマリンスタジアムさ。
海風が心地よいこのスタジアムは、熱狂的なファンが集う場所として有名だよね。私もね、ビール片手に応援歌を歌い、ホームランに沸き立つ、そんな典型的な野球観戦を楽しもうと思っていたんだ。ところが、どうも様子がおかしい。スタジアムのあちこちで、妙な噂話や、奇妙な光景を目にするんだ。その中心にあるのが、なんと哲学者の「中山元」の名前なんだよ。
「え、哲学? 野球場で?」って思うでしょ? 私も最初は耳を疑ったよ。だって、汗と砂埃、熱気と歓声に満ちたこの場所と、難解な思索の世界を結びつけるものなんて、普通は考えられないじゃないか。
でもね、旅先では常識なんてものは、いとも簡単にひっくり返るもんなんだ。
最初に気づいたのは、スタジアムグルメの売店でのことだった。名物の「もつ煮」を待つ行列に並んでいると、前の二人組がこんな話をしているのが聞こえてきたんだ。 「今日の相手ピッチャー、コントロールが定まらないな。まさに中山元の言う『偶然性』の発露だよ」 「いや、あれはむしろ、我々が『コントロールが良い』という規範に囚われているだけかもしれないぞ。彼の投球は、既存の秩序への『抵抗』の現れなんじゃないか?」 ……もつ煮待ちの会話か、これは?
思わず吹き出しそうになったんだけど、よく見ると、彼らだけじゃない。球場内のあちこちで、似たような光景が繰り広げられているんだ。内野席の隅っこでは、老紳士が文庫本を片手にスコアブックをつけている。ちらりと見えたその本のタイトルは……『フーコー入門』? まさかね。隣の若者は、スマホで試合中継を見ながら、「この展開は、まさに『出来事』の生成だな…」なんて呟いている。
一体全体、どうなってるんだ?
好奇心に駆られた私は、売店のお姉さんに恐る恐る尋ねてみたんだ。「あの、最近この球場、哲学の話をする人が増えたりしてませんか…? 特に、中山元とか…」 するとお姉さん、ニヤリと笑ってこう言うじゃないか。 「ああ、中山先生のこと? 詳しいことは知らないけど、最近よく聞くわねえ。なんでも、数年前にふらっと観戦に来た先生が、ここの雰囲気をいたく気に入ったとか。それで、誰かが勝手に『中山元シート』なんて呼んでる席があるらしいわよ。どこかは知らないけど」
中山元シート!? なんだそれは。ますます謎は深まるばかりだ。
さらに調査(という名の球場散策)を進めると、こんな都市伝説(?)にも行き当たった。
- 隠されたメッセージ説: スタジアムの構造物や案内表示の中に、中山元の哲学的なキーワードが巧妙に隠されているという噂。例えば、通路のタイルのパターンが、実は彼の著作に出てくる図式を模しているとか、特定の座席番号だけを読むと、秘密のメッセージが浮かび上がるとか……。まあ、これはさすがに眉唾物だろうけどね。
- 選手への影響説: ある主力選手が、オフシーズンに中山元の著作を読みふけり、その哲学を自身のプレースタイルに取り入れている、なんて話もある。曰く、「彼のバッティングは、単なる技術じゃない。既存の投手有利の構造に対する、身体を通じた異議申し立てなんだ」とか。…うーん、ファンタジーが過ぎる気もするが。
- 応援の哲学的解釈: ロッテ名物の大応援団。あの統率された動きと声援も、一部のファンにとっては哲学的な考察対象らしい。「集団の熱狂と個人の主体性はどう両立するのか?」「応援というパフォーマンスは、何を『表象』しているのか?」…ビール片手にそんな議論が交わされているとしたら、それはそれで面白い光景だ。
もちろん、これらの話がどこまで本当かなんて、誰にも分からない。もしかしたら、エイプリルフールの冗談が、いつの間にか一人歩きして、まことしやかな噂になっただけなのかもしれない。あるいは、一部の熱心な(そして少し風変わりな)ファンが作り上げた、壮大な「遊び」なのかもしれない。
でもね、旅人としては、こういう「真偽不明の物語」に出会うのが、たまらなく好きなんだ。
試合? ああ、試合もちゃんと観たよ。この日は見事な逆転勝利だった。終盤、誰もが諦めかけた場面からの劇的なホームラン。スタジアム全体が揺れるような大歓声。その瞬間、私も周りの見知らぬ人たちとハイタッチを交わしていた。
その熱狂の中で、ふと思ったんだ。もしかしたら、中山元の哲学がここで囁かれるのは、偶然じゃないのかもしれない、と。
野球というゲームは、筋書きのないドラマだ。予測不可能な偶然が勝敗を左右し、昨日までの常識が今日覆されることもある。それは、私たちが生きるこの不確かな世界そのものの縮図のようでもある。そんな野球の持つ本質的なドラマ性が、もしかしたら、世界の複雑さや偶然性について思考を巡らせた哲学者の言葉と、どこかで響き合っているのかもしれない。
なんてね。ちょっと考えすぎかな?
まあ、本当のところはどうだっていいんだ。大事なのは、このZOZOマリンスタジアムという場所が、ただ野球を見るだけじゃない、何か新しい「思考のきっかけ」を与えてくれる、ちょっと不思議な空間になっている、ということさ。
海風に吹かれながら、熱い試合と、ちょっと知的な(?)与太話を楽しむ。そんな野球観戦も、悪くないと思わないかい?
次にここを訪れるときは、私もポケットに文庫本の一冊でも忍ばせてみようかな。もちろん、読むかどうかは別にしてね。旅先での「ごっこ遊び」も、また一興ってもんだからさ。
さて、そろそろ次の目的地へ向かう時間だ。もし君がZOZOマリンスタジアムを訪れる機会があったら、ちょっとだけ耳を澄ませてみてほしい。もしかしたら、君の隣の席からも、哲学的な呟きが聞こえてくるかもしれないよ。
それでは、またどこかの旅先で。