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2025年04月03日

【News LIE-brary】養老孟司、沈黙の回路を開く――発掘された2000年の「テレビの断片」、ノイズの彼方に見るもの

光と影が明滅するブラウン管の残像。あの、少し埃っぽい、独特の甘い匂いを放つ空間。2000年という、世紀の狭間で揺らめいていた時代の空気を真空パックしたかのような映像の断片が、突如として我々の前に現れた。それは、解剖学者・養老孟司が深く関与したとされる、ほとんど伝説と化していた深夜番組『空白の網膜 (Retina Vacua)』のマスターテープとされるものだ。発掘されたのは、首都圏郊外の、今はもう使われていない倉庫の奥深く。偶然か、必然か。錆びたフィルム缶が開かれた瞬間、封印されていたはずの「問い」が、デジタルの海に慣れきった我々の意識の表層を静かに掻き乱し始めた。

『空白の網膜』。タイトルからして、既に詩的であり、挑発的だ。記録によれば、2000年の夏、わずか数回、関東ローカルで深夜3時過ぎという、ほとんど「無」の時間帯にそれは放映されたという。視聴率? そんなものは記録されていない。いや、もはや、計測すること自体が無意味だったのかもしれない。それは「番組」というより、むしろ「現象」だった。カメラは、ただひたすらに、都市の夜景、高速道路を流れるテールランプの軌跡、明け方の公園で眠るホームレスの寝息、手術室の無影灯、昆虫の複眼が捉えるであろう歪んだ風景などを、脈絡なく、しかし執拗に映し出す。ナレーションはない。テロップもない。ただ、時折、画面の隅に、電子音とも環境音ともつかない、微かなノイズのようなサウンドが挿入されるだけ。

養老孟司は、公式には「監修」としてクレジットされている。だが、それは我々が知る「監修」とは似て非なるものだったようだ。制作に関わったとされる匿名のスタッフ(当時ADだったという)の朧げな記憶によれば、養老は撮影現場に現れることはほとんどなく、ただ、編集室で、膨大な量の「素材」――都市の断片、自然の断片、人体の断片――を前に、何時間も沈黙していたという。そして、時折、編集マンに「このノイズと、あの光の明滅を繋げてみろ」「ここの“間”を、あと3秒引き伸ばせ」といった、断片的な指示を与えた。それは指示というより、むしろ、素材そのものとの対話、あるいは、素材が持つ潜在的なリズムへの共鳴だったのかもしれない。

発掘された映像は、まさにその「沈黙」と「ノイズ」の結晶体だ。それは、2000年という時代の空気を濾過し、抽出したエッセンスのようでもある。まだインターネットが牧歌的で、スマホもなく、誰もがブラウン管の前で、意味もなくチャンネルをザッピングしていた、あの頃。情報過多でありながら、どこか決定的な「何か」が欠落していた時代。番組は、その欠落、その「空白」こそを、凝視しようとしていたのではないか。

養老は、常々「壁」について語る。意識の壁、身体の壁、都市と自然の壁。この『空白の網膜』は、まさにその「壁」そのものを映し出そうとした試みだったのかもしれない。意味や物語を性急に求める我々の意識という名の「壁」。その壁に、意味を剥奪された映像の断片を、ただただ、ぶつけていく。それは、視聴者に理解を求めるのではなく、むしろ、理解できないという感覚、ザラザラとした違和感そのものを体験させるための装置だったのではないか。ブラウン管が発する微かな静電気のように、それは視聴者の無意識の表皮を撫で、微かな疼きを残す。

2000年のテレビは、ある意味で、まだ「身体性」を帯びていた。分厚く、重く、熱を発するブラウン管。チャンネルを回す物理的な行為。砂嵐の向こうに、何か得体の知れないものが蠢いているような感覚。それは、現代のフラットでクールな液晶画面とは全く異なる質感を持っていた。『空白の網膜』は、そのブラウン管という「臓器」を通してしか感受できない、特殊な波動を発していたのかもしれない。発掘された映像を現在の高精細モニターで見ると、確かにクリアではあるが、何かが失われている感覚がある。あのノイズの質感、光の滲み具合が、どこか飼い慣らされているように見えるのだ。

なぜ今、この「空白」が我々の前に現れたのか。アルゴリズムによって最適化され、ノイズが徹底的に排除された情報空間。誰もが「わかる」ことを求め、「わかりやすい」物語に安住する時代。そんな現代において、この意味不明な映像の断片は、強烈な異物として存在する。それは、我々が失ってしまった、あるいは、自ら捨ててしまった「わからなさ」への回路を、静かに、しかし確実に、こじ開けようとしているかのようだ。

養老孟司は、この「発見」について、まだ多くを語らない。ただ、漏れ伝えられるところによれば、「ああ、あれか。まだ残っていたのかね。まあ、ゴミみたいなもんだよ」と、いつもの飄々とした口調で呟いたという。だが、その瞳の奥には、一瞬、あの2000年の深夜の編集室で素材と対峙していた時と同じ、深い沈黙の色がよぎったように見えた、と関係者は語る。

この発掘された「テレビの断片」は、単なる懐古趣味の対象ではない。それは、2000年という過去から投げかけられた、未来への問いだ。ノイズの彼方に、空白の網膜に、我々は何を見るのか。あるいは、何を見ようとしないのか。答えはない。ただ、ブラウン管の奥で微かに明滅していた光のように、その問いだけが、我々の意識の片隅で、静かに、明滅を続けている。アートとは、時にこうして、時代の沈黙の中から、不意に声をあげるものなのだ。

テーマ: 養老孟司 x 2000年のテレビ (日本)

文体: アーティスト風

生成日時: 2025-04-03 14:15