2025年03月30日
【News LIE-brary】蒼き炎、赤黒き稲妻、そして堀江町に降る静かな雨――ナポリ対ミラン、魂の交響詩
空は鉛色を孕み、サン・パオロ(あるいはマラドーナと呼ばれし彼の魂の器)の熱狂は、遠く東海の果て、名古屋の片隅、堀江町の瓦屋根にも届くのだろうか。否、それは物理的な音波ではない。魂の共鳴、祈りのような残響だ。
日曜日の午後、セリエAの空気を切り裂く笛の音が響く。それは始まりの合図、古くて新しい叙事詩の幕開け。ヴェスヴィオの麓で燃え盛る蒼き炎、ナポリ。ロンバルディアの平原を疾駆する赤黒き稲妻、ミラン。二つの魂が、緑の舞台で火花を散らす。
ボールは生きているかのようだ。時に優雅なワルツを踊り、時に激しいタランテラに身を焦がす。ナポリの選手たちは、影を引き連れた幻影のようにピッチを駆ける。彼らのパスは細い絹糸、時に鋭利な刃。ゴールへの渇望は、乾いた喉が水を求めるように切実だ。ディ・ロレンツォの右サイドは、寄せては返す波のように、絶え間なく岸壁を洗う。オシムヘンという名の槍は、常にミランの盾の中心を狙い、火花を散らす。
対するミラン。赤と黒のユニフォームは、誇りと歴史を織り込んだタペストリー。レオンのドリブルは、夜空を切り裂く流星。予測不能な軌道で、ナポリの守備陣形に亀裂を入れる。ジルーという名の古木は、その年輪に経験を刻み込み、静かに、しかし確実に、決定的な瞬間を待つ。中盤では、ベナセルが緻密な計算でゲームを操り、トナーリが闘犬のようにボールを追いかける。それは冷徹なまでの機能美、計算され尽くした嵐。
堀江町の古びた喫茶店では、テレビの光が老主人の顔を照らす。珈琲の香りと、遠いイタリアの熱狂が奇妙に混じり合う。窓の外では、いつしか雨が降り始めていた。アスファルトを叩く雨音は、スタジアムの歓声とは対極にある静寂。だが、その静寂の中にも、人々の心のざわめき、見えないドラマが息づいている。路地裏に咲く名も知らぬ花のように、誰にも知られず、しかし確かに存在する想い。
試合は、激流のように進む。先制したのは、ナポリだった。クワラツヘリアの魔法が炸裂し、ボールは美しい弧を描いてネットに吸い込まれた。スタジアムは蒼き情熱の坩堝と化し、その叫びは天まで届くかのようだ。堀江町の喫茶店の老主人は、小さく頷き、カップを口に運ぶ。彼の脳裏には、若き日の情景が蘇っているのかもしれない。遠い記憶の中の、勝利の味、あるいは敗北の苦さ。
だが、ミランは沈黙しない。赤黒の稲妻は、逆境でこそ輝きを増す。後半、テオ・エルナンデスの爆発的な突破が、ナポリの左サイドを抉る。雷鳴のようなシュートがゴールを襲い、同点。スタジアムは一瞬の静寂の後、再び異なる種類の熱狂に包まれる。歓喜とため息が交錯し、空気はさらに張り詰めていく。
堀江町の雨は、いつしか小降りになっていた。濡れた路面が、街灯の光を鈍く反射する。川(もし堀江町に川が流れているとしたら、その水面)には、無数の光の粒が揺れているだろう。それはまるで、ピッチ上で繰り広げられる選手たちの汗と涙のようだ。一つ一つの光が、それぞれの物語を宿している。
試合は終盤、互いに決定機を作りながらも、ゴールは生まれない。GKたちの神がかり的なセーブ、最後のところで体を投げ出すDFたち。それは、技術を超えた、魂のぶつかり合い。勝利への執念と、敗北への恐怖が、選手たちの動きを支配する。時計の針は、残酷なまでに正確に時を刻む。
そして、ホイッスル。長い、長い笛の音が、サン・パオロの空気を震わせた。引き分け。スコアは1対1。勝者も敗者もいない、しかし、全てを出し尽くした者たちの疲労と、かすかな満足感がそこにはあった。選手たちはピッチに倒れ込み、あるいは相手選手と健闘を称え合う。蒼と、赤黒が、静かに混じり合う瞬間。
堀江町の喫茶店では、テレビが消され、静寂が戻っていた。老主人は、窓の外の、雨上がりの夜空を見上げている。雲の切れ間から、星が瞬いているかもしれない。ナポリの空にも、ミラノの空にも、そしてここ堀江町の空にも、同じ星が輝いているのだろうか。
勝敗だけでは語れない物語がある。数字には表れない感情がある。今日の試合もまた、無数の物語の一つとして、人々の記憶に刻まれる。それは、堀江町の片隅でひっそりと息づく人々の営みのように、劇的でありながら、どこか儚く、そして美しい。蒼き炎の揺らめきも、赤黒き稲妻の閃光も、やがては夜の闇に溶けていく。しかし、その熱と光は、確かに魂に触れたのだ。堀江町に降った静かな雨のように、それは人々の心を潤し、新たな物語の種を蒔いていくのだろう。夜は更け、街は眠りにつく。しかし、夢の中では、まだボールを追いかける音が聞こえるのかもしれない。遠いイタリアの、そしてこの街の、終わらない詩が。