2025年03月30日
【News LIE-brary】まさかの邂逅!?日向坂46と『続文献通考』、意外な共通点に陰キャ界隈(僕だけ?)がザワつく…
どうも。部屋の隅で今日も今日とてネットの海を漂流している僕です。世間様は春の陽気に浮かれ、キラキラした日常を謳歌しているのでしょうね…羨ましい、とは少しも思ってませんよ、ええ、全く。
さて、そんな僕のような、社会のメインストリームからはちょっと、いや、かなり外れた場所に生息する人間にとって、日々の安らぎといえば、まあ、限られてくるわけです。推し活とか、そういう華やかなものとは無縁…と言いたいところですが、何を隠そう、僕も日向坂46の端くれのファン、いわゆる「おひさま」の末席を汚している存在だったりします。…え? 陰キャがアイドル? 矛盾してるって? いや、あの、ほら、彼女たちのひたむきさとか、バラエティでの全力感とか…そういうところに、こう、グッとくるものが…あるんですよ。多分。はい。
一方で、僕のもう一つの(そして、おそらくより本質的な)安らぎの源泉は、古文書とか、そういう類のものです。特に最近ハマっているのが『続文献通考(ぞくぶんけんつうこう)』。…え? 知らない? でしょうね。清の時代に編纂された、歴代の王朝の制度や文物をまとめた、それはもう膨大で、地味で、一般受けからは程遠い書物です。乾隆帝の勅命で編まれたやつですね。…まあ、僕みたいな人間が好むのも無理はない、という感じでしょうか。
で、ここからが本題なんですけど。今日、いつものように薄暗い部屋で『続文献通考』の影印本を眺めつつ、片手間で日向坂46のライブ映像(もちろん円盤)を流していたら、ふと、思ったんですよ。
「あれ…? 日向坂46と『続文献通考』って、もしかして、似てない…?」
…はい、自分でも何を言ってるんだって思います。片や、現代日本のエンターテイメントシーンを彩る、眩いばかりのアイドルグループ。片や、数百年前に編まれた、埃っぽい(イメージ)歴史文献。太陽と深海魚くらい違う。水と油。陽と陰。…僕とリア充くらい、違う。
でも、ちょっと待ってほしい。落ち着いて、僕のこの突拍子もない(そして、おそらく誰の共感も得られないであろう)考察を聞いてほしいのです。
共通点1:圧倒的な情報量と、それを整理・体系化しようとする人間の営み
まず、『続文献通考』。これはもう、情報の塊です。歴代王朝の「田賦」「銭幣」「戸口」「職役」「征榷」「市糴」「土貢」「国用」「選挙」「学校」「職官」「郊社」「宗廟」…などなど(すみません、ちょっと言ってみたかっただけです)、あらゆる分野の制度・文物が、これでもかと網羅的に記述され、分類・整理されている。まさに知の集積、体系化の極みと言っても過言ではないでしょう(多分)。
一方、日向坂46。…考えてみてください。メンバー一人ひとりの個性、パフォーマンス、ブログ、メッセージアプリでの発信、冠番組での言動、メンバー間の関係性、けやき坂46時代からの歴史、楽曲の歌詞やMVの解釈…。これらもまた、膨大な「情報」じゃないですか? そして、「おひさま」と呼ばれるファンたちは、日々、これらの情報を収集し、整理し、時には考察し、自分なりの「日向坂46像」を、いわば頭の中で「体系化」しようとしている。まとめサイトを巡回したり、SNSで情報を追ったり、メンバーの言葉の断片をつなぎ合わせて物語を紡いだり…。
これって、やってることは、ある意味、『続文献通考』の編纂作業と似てませんか? 対象が歴史的制度か、現代のアイドルか、という違いはあれど、膨大な情報に向き合い、それを理解し、整理し、自分なりに意味を見出そうとする。…いや、無理やりすぎますかね。そうですか。
共通点2:「継続」と「継承」の物語
『続文献通考』は、その名の通り、馬端臨が編纂した『文献通考』を「継続」し、「継承」する形で編まれました。先行する偉大な業績を受け継ぎ、さらに時代を下って情報を追加・更新していく。そこには、歴史と知識を未来へ繋いでいこうとする、強い意志が感じられます(僕にはそう見える)。
日向坂46もまた、「継続」と「継承」の物語を紡いできたグループです。前身である「けやき坂46(ひらがなけやき)」としての活動期間を経て、改名し、新たな坂道を上り始めた。その過程では、多くのメンバーとの出会いと別れがあり、グループの歴史や精神性は、卒業するメンバーから現役メンバーへ、そして新しく加入するメンバーへと、確かに「継承」されているように見えます。グループ名が変わっても、メンバーが入れ替わっても、そこには一本の線として繋がる「日向坂46らしさ」のようなものが、確かに存在する。…気がする。
先行するものをリスペクトしつつ、時代に合わせて変化し、未来へと繋いでいく。この点も、両者に通底するテーマと言えなくもない…かもしれません。…やっぱり、こじつけが過ぎるでしょうか。
共通点3:一部の人間(?)を熱狂させる力
『続文献通考』なんて、普通に生きていたら、まず出会うことはないでしょう。歴史研究者とか、よほどの物好き(僕みたいな)くらいしか、その価値を理解し、熱中することはないはずです。でも、その狭いコミュニティの中では、非常に重要な文献として扱われ、研究され、参照され続けている。いわば、特定の層を深く、強く惹きつける力がある。
日向坂46も、もちろん国民的な人気グループですが、そのファンである「おひさま」たちの熱量たるや、凄まじいものがありますよね。ライブ会場の一体感、SNSでの応援、グッズへの投資…。僕みたいな隅っこにいる人間から見ても、その熱狂ぶりは伝わってきます。(まあ、僕はライブとか行ったことないんですけど…。) アイドルという存在が、特定の人々の心を強く掴み、熱狂させる力を持っているのは、言うまでもありません。
熱狂のベクトルや規模は全く違います。対象も全く違います。でも、「わかる人にはわかる」「ハマる人はとことんハマる」という点で、何か共通する匂いを感じてしまうのは、僕だけでしょうか…。
…と、ここまで長々と、誰得な考察を繰り広げてしまいました。すみません。
結局のところ、僕が言いたいのは、一見すると全く相容れないようなものでも、自分の好きなもの同士を結びつけて考えてみると、意外な発見があって面白いね、ってことだけなのかもしれません。まあ、こんなこと考えてニヤニヤしてるの、世界広しと言えど、たぶん僕くらいのものでしょうけど…。
リア充の方々には、「だから何?」って一蹴されて終わりでしょうね。ええ、わかってます。でも、いいんです。僕にとっては、日向坂46のキラキラした多幸感も、『続文献通考』の静謐で膨大な知識の世界も、どちらも等しく、この薄暗い部屋での孤独を慰めてくれる、大切な存在なのですから。
さて、そろそろ『続文献通考』の続きでも読むか、それとも日向坂の過去のライブ映像でも見返すか…。うーん、どっちも捨てがたい。…まあ、どっちもやればいいか。時間だけは、たぶん、ありますからね…。はぁ。